ファンクな説教

ファンクなワケ その5

脊髄派って
いったい
ナニ?

音楽するヤツには、頭で考えるのとそうでないのとがある
そうでないのは自身の感覚が正しく、それのみが頼り

感じたものを考えずにそのまま出す それが脊髄派
考えるのは大脳派

脊髄派がやるのが脊髄音楽、大脳派は大脳音楽
と脊髄派が言うようになった

そうやって自分の居場所を必死で作ろうとした

そして

とうとう脊髄派が政権を握った

が、わずか2年間であっさり終わった
さすが脊髄派 やはり主流は似合わない

その後さらに独自の深化を遂げていく
さらにディープに さらにドス黒く

などとカッコよく書いてるけど結局ファンクって当時のサークルでは
マイナーだったわけよ それを楽しんでた節もあるしね

巷では今年はブルース元年とか言うてますけど
元年で終わるでしょうね 終わってほしいですね

こんなものが日本でメジャーになるハズがなかろう

江戸アケミが自分の歌で言うてた
「ファンキーが大好きだなんて 笑わせるんじゃないぜ」

でもカッコエエよ アケミに笑われても大好きやなあ

ファンク

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ファンクなワケ その4

で、早速その人たちとバンドを組むことに。
当時そのサークルでは、いわゆる黒人音楽というものが取り上げられていなかった
だからそういうモノに手を出す我々は異端であり外道だった
それでも楽しくてしょうがなかった ブルース、ソウル、R&B、そして

ファンク

今まで聴いてきた音とはまた違う新鮮なモノ。
いなたいテキサスファンク全開のクルセイダーズ
狂おしいNYパンク・ファンクの雄
デファンクト
ジェイムズ・チャンス&コントーションズ

ブルースやファンクをコアとし、フリージャズを巧みに取り入れた
ジェイムズ・ブラッド・ウルマー
ジャマラディーン・タクーマ
ロナルド・シャノン・ジャクソン

こんなのを聴きまくったのもこのハタチ前後の数年間だった
そして偏食がちだったがこの時期にかなり成長したと思う

そんな外道たちがいつしかひっそりと、自嘲的ではあるがひとつの派閥を作った

「脊髄派」

なんやそれ?

と思った人はもうハマってます ご愁傷様です

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ファンクなワケ その3

で、ヒップホップ。
まずはRUN DMCとビースティー、前者はエアロスミスで後者はAC/DCの
パクリが激烈にかっこよかった 追い討ちをかけたのがPublic Enemy
スレイヤーとアンスラックスをパクッてこれまたミョ~にGroovy
スラッシュもなかなかええノリ出すやん

この頃はラップとスラッシュを聴きまくってたなぁ
特にメタリカとアンスラックスはよく聴いた ライブにも行った
ちゃんとヘッドバンギングもやりましたよ

そんな時、DE LA SOULとA Tribe Called Questに出会った

あら
なにこれ
コイツら全然違う
軽いけどめちゃめちゃカッコエエ

ネタ使いのセンスがイイ 元ネタを聴きたい! そんな衝動だった
今でこそ「誰のなんという曲からのサンプリング」とか書くようになったけど
当時は曲の拝借は無法状態だったので手がかりがほとんどない
ライナーノーツだけを頼りに元ネタを探しまくった 東京まで行ったことも

そこに衝撃の出会いが…

ミーターズだった
ある意味でJBよりも衝撃的なファンクだった

「こんなスッカスカのドラミングで何でこんなGrooveが?」
と思うと同時に、「ヘタに音を詰め込んだらGrooveが出ない」と確信した

それからファンク道をブチ進んでいった
そんな中で精神的支柱になったのがPファンク=ジョージ・クリントン

「ONE NATION UNDER A GROOVE」

ファンカデリックの代表作にしてファンクの金字塔的作品

「ONE NATION UNDER A GROOVE」

「ファンクとは?」の問いに見事に答えたそのタイトル

「ONE NATION UNDER A GROOVE」

ひとつの到達点に来てしまったんだと思った
もう後戻りできないところまで来てしまったんだと思った

広すぎて回り込めない
低すぎてくぐり抜けられない
高すぎて乗り越えられない
(ONE NATION UNDER A GROOVE 冒頭の歌詞より)

お釈迦様の掌の孫悟空のようなもんですなあ

もはやファンクから逃れることが出来ないよ
おまえはファンクとともに生きていくんだよ

とクリントン総帥に宣告されてしまったわけです

それからPファンクに没入するのは自然な流れだった
パーラメントの緻密、ファンカデリックの刹那、ブーツィーの
咆哮、バーニー・ウォレルの変態、エディ・ヘイゼルの泣き、
マイケル・ハンプトンの爆裂、グレン・ゴインズの絶叫。
それを統括し、マザーシップから降臨するクリントン総帥。

どうやら俺はとんでもないものに足を踏み入れたようだ
でもなんだこのクラクラくる心地よさは

いったいこの先何をどう聴いていくのか
オレはもうラジオやTVからタレ流される普通の音楽では
全く満足しなくなっていた
そんなときに出会ったのが大学のサークルだった

「俺はもうバンドはやらない」
「自分の趣味だけを深化させる」

と思っていたが、入ってみてそんなことを考えていた自分が
バカらしいことが分かった ここはもっともっと深いぞ、と。

PINKのコピーバンドを始めた一回生の冬頃、

「ファンクが好きやっちゅうのは オマエか」
と、ある先輩から声をかけられた
これが新たな音楽生活の始まりだったということはそのときは
知る由もなかった…

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ファンクなワケ その2

それからヒップホップにハマりました
といっても1985年前後のオハナシ

めっちゃオールドスクールですわ 避けて通れないのが
シュガーヒル・ギャング
カーティス・ブロウ
グランドマスター・フラッシュ

そして
アフリカ・バンバータ

鼻下までズッポリはまったところで待ち受けていたのは…
やはりあの御大でした

ビル・ラズウェルを追いかけていたはずが、JBとバンバータの
コラボ「Unity」に行き着いたわけです
「あぁっ このシャウトはあの時の!」って感じですわ

荒削りなサウンド、JBの雄叫び、若きバンバータのラップ、
そして小5の体験、もう息が出来ていませんでした

それからさらにヒップ・ホップを掘削していくのでした
そこで思わぬ大金脈に出くわすとは…

ほなまた

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ファンクなワケ その1

って言われてもなあ なんで俺ファンク好きなんやろ
っていうことを思い起こしてみる

3歳~幼稚園の頃は「東京こどもクラブ」という、今でいうと
ガキが英語をCDで勉強するようなものを「ソノシート」で
一日中聴きまくってたらしい

小学校の頃は普通に歌謡曲にヌップリ、しかし5年生の頃
聴いたラジオでJBとT.Rexにやられた
勝手に動く腰をどうすることも出来なかった
大人になってこういうモノにかぶれてはいけないという、これは
予防注射のはずだった

おとなしかった音楽生活は一変し、その頃流行のホンダの「CITY」
というクルマのCMで使われたMadnessにドはまりし(今も大好き)、
中二で久方ぶりの衝撃を味わうことに

それはハービー・ハンコックの「Rockit」
そこでスクラッチをかましてたのはGrandmixer DST
プロデュースはBill Laswell
当時NYで先鋭のユニット「Material」と組んだモノだった

その後の音楽生活の灯火となるこのアルバム、それが実に面白い
取り合わせに出会わせてくれることになろうとは…

ほなまた

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